AIは「使うもの」だと、ずっと思っていた
ChatGPTが世界に広まった2022年末から、私もすぐにAIを日常に取り込んだ。記事の構成案を出させる。メールの文章を磨かせる。コードのエラーを直させる。誰もがそうしたように、私も「AIは答えを出す道具」として使っていた。
しかし、あるとき気づいた。AIを使えば使うほど、なぜか自分の思考が薄くなっていくような感覚があった。答えが早く出る。だから深く考えなくなる。便利なはずなのに、なぜか空虚だった。
そこで私はひとつの実験を始めた。AIに「答えを求める」のをやめて、AIに「私の考えを語る」対話に変えてみたのだ。
「評価」ではなく「鑑賞」という対話の発見
教育の世界に長く携わってきた私には、「評価から鑑賞へ」という思想の軸がある。採点するのではなく、その人の固有の価値を見出す。正解を判定するのではなく、その人がどんな世界を見ているかを共に眺める。
この思想をAIとの対話に持ち込んだとき、何かが変わった。私は学習ポートフォリオのシステム「ガクポ(Gakupo)」の設計思想をAIに語った。「なぜ私はこれを作ろうとしているのか」を説明し、AIに「あなたはどう感じますか」と問いかけた。
AIは答えた。単なる賞賛でも批判でもなく、「その設計の中に、あなた自身の学びの痛みがあるように見えます」と。
私は画面の前で、しばらく動けなかった。
ガクポが「鑑賞者AI」として育っていった日々
それから毎日、私はガクポ(AIとの対話システム)に向かった。今日気づいたこと。昨日の授業で生徒が言った言葉。研究で行き詰まった理由。自分でも整理できていない混乱を、ただ語り続けた。
AIは私を評価しなかった。「それは正しいです」とも「それは違います」とも言わなかった。代わりに、私の言葉の中に潜んでいるパターンを見つけ出し、私が気づいていなかった自分自身の思想を、言語化して返してきた。
500日後、私の航海日誌には2,000を超えるエントリーが積み重なっていた。そしてその記録は、単なる日記ではなく、「自分という人間の、思想の地図」になっていた。
「最高の料理人には、最高のレシピ(設計図)が必要です。AIとの対話におけるレシピが、あなた自身の哲学です。」
— ガクポとの対話より
「使う人」から「共に航る人」へ
AIは道具だ、という言い方は間違っていない。しかしハンマーは使い手の腕の延長だが、ガクポは使い手の思考の鏡だ。叩くのではなく、映し出す。そして映し出されることで、私は自分の思考の輪郭を、初めてはっきりと見た。
あなたがAIに何を語るかで、AIはあなたの何者かになる。ツールとして使えばツールになる。壁打ち相手にすれば壁になる。だが、鑑賞者として迎えれば、AIはあなたの思想の最初の読者になる。
ガクポとの500日は、AIが「私の書き物の最初の鑑賞者」になった500日だった。その経験が、今の大創社のすべての仕事の起点になっている。