導入
「どうして、分かってくれないんだろう」。親しい関係であればあるほど、私たちは相手との間に横たわる、見えない壁に愕然とすることがあります。それは多くの場合、悪意からではなく、互いが無意識に抱える「当たり前」という名の色眼鏡から生まれるのかもしれません。しかし、その眼鏡の存在に、私たちはどうすれば気づくことができるのでしょうか。
今回ご紹介する2025年のドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は、この極めて普遍的で、痛みを伴う問いに、温かいユーモアと鋭い洞察をもって一つの答えを示してくれる作品です。これは単なるロマンスコメディではありません。自分の中の「当たり前」が崩壊した時、人はどう再生し、本当の理解へと至るのか。そのための、具体的で、少し不格好で、しかし何よりも誠実なレシピが描かれた、私たち自身の物語なのです。
この作品が映し出す、「無意識」という名の壁
物語の主人公・海老原勝男(演: 竹内涼真)は、長年付き合った恋人・山岸鮎美(演: 夏帆)へのプロポーズの場で、突然別れを切り出されます。原因は、勝男が何の疑いもなく信じてきた価値観—「料理は女が作って当たり前!」。彼は悪人ではありません。ただ、自らが育ってきた環境の中で、その価値観が揺らぐことなど想像すらしたことがなかったのです。
創作者(原作: 谷口菜津子氏 / 脚本: 安藤奎氏)は、勝男を一方的に断罪するのではなく、彼の「無自覚さ」を丁寧に描き出します。この演出選択がもたらす効果は、鑑賞者が勝男を「自分とは無関係な、時代遅れの男」として突き放すことを防ぎ、むしろ「自分の中にも、勝男のような『無意識の壁』はないだろうか」と内省を促すことです。物語は、現代的な価値観を持つ同僚たちの冷ややかな視線や、鮎美の静かな絶望を通して、勝男の「当たり前」が、いかに他者を傷つけ、自分自身をも孤立させていたかを、多角的に映し出していきます。
鑑賞の展開:再生への四つの価値 - 「認識」「感情」「実践」「美」
このドラマの鑑賞体験は、四つの価値が重なり合うことで、深い奥行きを獲得します。それは、無自覚な偏見に光を当てる【認識の価値】、関係の崩壊と再生の痛みと希望を描く【感情の価値】、具体的な行動こそが変革を生むと示す【実践の価値】、そして、日常の機微を巧みに捉える【美的価値】です。
【認識の価値】 - 「当たり前」の解体と、「減点法のワナ」の可視化
本作が提示する最も重要な価値は、多くの家庭に潜む「見えない労働」と、それを支える無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)を、エンターテインメントとして鮮やかに可視化した点にあります。勝男にとって、食卓に並ぶ手料理は「当たり前」の風景でした。しかし、その背景にある献立を考える時間、買い物、調理、後片付けといった膨大なプロセスは、彼の認識から完全に抜け落ちていました。
この、家庭内に潜む根深い問題を、大創社と現代家事能力検定(HMST)協会による共著『「じゃあ、あんたが作ってみろよ」と、心で叫んだすべての人へ』は、「減点法のワナ」と名付けています。それは、100点満点の状態を「当たり前(ゼロ点)」とみなし、そこからの欠点だけを見つけてはマイナスしていく思考法です。
ドラマの中で勝男は、まさにこの「減点法」の体現者として、鮎美の膨大な努力を無視し、些細な結果だけを評価します。この作品は、勝男が自らキッチンに立つことを通して、その一つ一つの労働がいかに創造的で、尊いものであるかを学んでいく過程を描きます。これは、家事というテーマに留まらず、あらゆる仕事や人間関係において、他者の「見えない貢献」を想像する力を養うための、普遍的な視点を提供してくれます。
【感情の価値】 - 喪失の痛みと、自分を取り戻す旅
物語は、勝男の再生を描くと同時に、鮎美が「自分らしさ」を取り戻していく旅でもあります。献身的に尽くすことで自分の価値を見出してきた彼女が、関係の終わりを機に、自分が本当に望む生き方とは何かを問い直す姿は、多くの鑑賞者の共感を呼ぶでしょう。長い関係が終わりを迎える時の喪失感、それでも自分自身の足で再び立ち上がろうとする静かな決意。本作は、その痛みに寄り添いながら、他者のためだけでなく、自分のために生きる喜びを肯定してくれます。勝男と鮎美、二つの視点から描かれることで、関係のすれ違いがどちらか一方だけの問題ではないという、複雑な感情の機微が伝わってきます。
【実践の価値】 - 理解は、「知る」ことではなく「行う」ことから始まる
「じゃあ、あんたが作ってみろよ」。この挑発的なタイトルは、本作の核心を貫く実践的な哲学そのものです。勝男は、頭で「男女平等」を理解しようとするのではなく、自ら「料理を作る」という具体的な行動(プラクティス)に身を投じます。慣れない手つきで野菜を切り、レシピ通りに作っても失敗し、後片付けの大変さにうんざりする。その一つ一つの身体的経験が、彼の凝り固まった価値観を、議論や説教よりも遥かに雄弁に、そして根本的に揺さぶっていきます。本作が示すのは、「本当の理解は、知識として知ることではなく、当事者として行うことからしか生まれない」という、力強いメッセージなのです。
【美的価値】 - ユーモアとリアリティが織りなす、日常の輝き
本作の魅力は、そのシリアスなテーマを、軽快なユーモアと日常を切り取る温かい眼差しで描いている点にもあります。勝男の空回りする亭主関白ぶりを演じる竹内涼真氏の巧みさ、そして、静かな絶望と再生への希望を体現する夏帆氏の繊細な演技。二人の俳優が作り出す絶妙な空気感が、この物語に深いリアリティを与えています。また、料理という日常的な行為が、時にコミカルに、時に人物の心情を映す鏡として美しく描かれる演出は、私たちのありふれた毎日の中にこそ、かけがえのない価値が眠っていることを気づかせてくれるでしょう。
この作品が教えてくれること - 「相手の立場に立つ」ということ
このドラマが私たちに残す最も重要な洞察は、真の共感とは「相手の立場に立ってみること」だという、古くからの教えを現代的に再話した点にあります。主人公・勝男は、文字通り鮎美が立っていたキッチンという「舞台」に立つことで、初めて彼女が見ていた風景、感じていた重圧、そしてその労働の価値を理解します。パートナーとの関係、職場でのチームワーク、あるいは社会との関わりの中で、もし私たちが見えない壁を感じたなら、一度立ち止まり、相手の「キッチン」に立ってみる勇気を持つこと。この作品は、その一歩が、世界の見え方を一変させる可能性を秘めていることを、優しく教えてくれるのです。
あなた自身の「当たり前」と出会い、行動する未来へ
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は、あなた自身の内側にある「当たり前」という名の、最も手強く、そして最も愛すべき相手と向き合うための、招待状のような作品です。
そして、もしこのドラマが描くテーマに心を揺さぶられ、ご自身の人生にも具体的な変化をもたらしたいと願われたなら、そのテーマと深く共鳴する、もう一つの世界への扉があります。それは、私たち大創社が2011年より探求してきた「評価」ではなく「鑑賞」という哲学であり、その実践の場である「現代家事能力検定(HMST)」です。
ドラマで描かれた「見えない労働」や「無意識の偏見」といった課題は、まさに私たちが向き合い続けてきたテーマそのものです。この素晴らしい作品との出会いをきっかけに、ご自身の日常を「鑑賞」の視点で見つめ直し、その価値を発見し、高めていく旅に、あなたも参加しませんか。
ドラマで感動し、私たちの哲学で深く理解し、そして検定で実践する。この鑑賞体験が、単なる一過性の感動に終わらず、あなたの明日からの行動を変える、具体的な一歩となることを、心から願っています。
関連情報
ドラマ・マンガ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』
- 原作: 谷口菜津子
- 脚本: 安藤 奎
- 出演: 夏帆、竹内涼真、中条あやみ、青木柚
- ドラマ放送局: TBS系列 火曜ドラマ
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書籍『「じゃあ、あんたが作ってみろよ」と、心で叫んだすべての人へ』
- 著者: 大創社, 現代家事能力検定(HMST)協会
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