「最強」とは、どんな響きを持つ言葉だろうか。多くの物語が、主人公が最強へと至る「過程」を描く。しかし、漫画『ワンパンマン』は、その常識を根底から覆す。物語は、主人公サイタマが既に「最強」になってしまった、その地点から始まるのだ。これは、強さの先にある、予期せぬ「虚無」と、その対比によって浮かび上がる「日常」の価値を鑑賞する、異色の哲学書である。
ワンパンで終わる戦闘、終わらない退屈
趣味でヒーローを始めた男、サイタマ。3年間の壮絶なトレーニングの末、彼はどんな敵でも一撃(ワンパン)で倒す、絶対的な力を手に入れた。しかし、その力と引き換えに、彼は髪の毛と、そして「感情の高ぶり」を失った。地球の存亡をかけた戦いでさえ、彼にとってはスーパーの特売日を逃すリスクの方が大きい。
この物語の brilliantly な点は、ヒーローもののカタルシスであるはずの「戦闘シーン」を、意図的に「退屈」なものとして描くことにある。敵がどれほど絶望的な力を見せつけようと、結末は常にワンパン。このお決まりの展開は、私たちに問いかける。結果が分かりきっている戦いに、果たして意味はあるのか、と。
またワンパンで終わっちまった…。
「目的」を失った、現代の神々
サイタマの抱える虚無は、現代社会に生きる私たちの寓話として鑑賞できる。私たちは、目標を達成すること、問題を解決すること、より強く、より豊かになることを目指して生きている。しかし、もしそのすべてが、何の苦労もなく手に入ってしまったとしたら?
サイタマの姿は、目的を達成した後に訪れる「燃え尽き症候群」の究極の形だ。彼は、もはや「敵を倒す」という目的では、心を満たすことができない。この物語は、人生の意味とは、目的を達成する「結果」にあるのではなく、そこへ至る「過程」の、苦悩や、喜びや、人との関わりの中にこそ宿るのではないか、と静かに示唆している。
本当の「強さ」とは何か
この物語には、サイタマとは対照的なヒーローが登場する。C級1位の「無免ライダー」。彼は、どんなに強力な敵が現れても、勝てないと分かっていても、決して逃げずに立ち向かう。その姿は、市民の心を打ち、サイタマでさえ、彼の「ヒーローとしての魂」に敬意を払う。
ここに、本作のもう一つの問いがある。本当の「強さ」とは何か。一撃で敵を倒す物理的な力か、それとも、絶望的な状況でも諦めない精神の力か。サイタマが最強の「戦力」であることは間違いない。しかし、最強の「ヒーロー」は、もしかしたら無免ライダーの方なのかもしれない。この評価の逆転こそ、私たちが鑑賞すべき、本作の核心的なメッセージだ。
あなたの「特売日」は何ですか?
私たちは、つい大きな目標や、非日常的な成功ばかりに目を奪われがちだ。しかし、『ワンパンマン』は、サイタマが必死で間に合おうとする「スーパーの特売日」のような、ありふれた日常の価値を思い出させてくれる。世界を救うことよりも、今日の夕飯の献立に悩むこと。その退屈に見える日常こそが、私たちが生きる、かけがえのない舞台なのだ。あなたの心を、本当にワクワクさせる「特売日」は、一体何だろうか?