清廉潔白なヒーローが世界を救う物語は、もう私たちの現実とは少しずれているのかもしれない。現代は、矛盾を抱え、欠点だらけで、それでも何かを守ろうともがく、不完全な存在たちの時代だ。『ヴェノム』シリーズが私たちの心を掴むのは、エディとヴェノムという、まさに混沌(カオス)を体現したようなコンビが、その不完全さの中から、確かな「絆」の価値を照らし出すからだろう。
一心同体という名の、最高のバディ
ジャーナリストとして落ちぶれたエディと、地球外生命体シンビオートのヴェノム。彼らの関係は、単なる「寄生」ではない。一つの体を共有し、絶えず口論し、互いの欠点を罵り合いながらも、決して離れることのできない「一心同体」のバディ(相棒)だ。この奇妙な共同生活そのものが、本作を鑑賞する上での最大の魅力である。
『ザ・ラストダンス』では、彼らの存在そのものが世界を脅かすという皮肉な状況に陥る。絶体絶命の逃避行の中で、彼らの絆はより一層強く、そして切なく輝きを増す。それは、完璧な人間など存在しないという、私たち自身への慰めにも似ている。
「あいつは俺の相棒だ」— その言葉に、二人のすべてが凝縮されている。
「混沌たる善」を鑑賞する
ヴェノムは、決して模範的なヒーローではない。彼の行動は暴力的で、善悪の基準も極めて自己中心的だ。しかし、その根底には、エディを守りたい、自分たちの居場所を守りたいという、純粋な願いがある。私たちはこれを「混沌たる善(カオティック・グッド)」と呼ぶことができるかもしれない。
完璧な正義を振りかざすのではなく、不完全さや矛盾を抱えながらも、守りたいもののために戦う。その姿に、私たちはなぜか心を揺さぶられる。それは、私たち自身が、日々の生活の中で、綺麗事だけでは済まない現実と戦っているからではないだろうか。ヴェノムのあり方は、そんな私たちの不完全さを、力強く肯定してくれる。
「創造主」に抗う、自己決定の物語
本作で彼らの前に立ちはだかるのは、シンビオートの創造主である「神」、ヌル。それは、自らの「起源」や「運命」との対決を意味する。創造主は、ヴェノムをエディから引き離し、本来あるべき姿に戻そうとする。しかし、彼らは、その運命に抗い、二人でいることを選ぶ。
これは、生まれや環境によって定められた役割を拒否し、自らの意志で「何者であるか」を決定する、力強い自己決定の物語として鑑賞できる。私たちは皆、何らかの「創造主」(親、社会、過去の自分)の影響下にある。その影響から自由になり、自分自身の物語を生きるための戦いは、まさにエディとヴェノムの「ラストダンス」そのものだ。
あなたの「不完全な相棒」は誰か
この映画は、私たちに問いかける。あなたの人生に、ヴェノムのような「不完全な相棒」はいるだろうか。それは、友人や家族かもしれないし、自分自身の内なる声や、手放せない欠点かもしれない。完璧な調和ではなく、混沌とした関係性の中にこそ、生きるエネルギーが宿ることもある。その不完全な絆を、評価するのではなく、ただ「鑑賞」してみること。そこに、明日を生きるための、意外なヒントが隠されているかもしれない。